日野原重明氏の講演

 ときどき小学校に行って、「いのちの授業」をするそうです。

授業の中で子どもたちに「いのちはどこにあるのでしょう?」と問いかけるそうです。

するとこどもたちは「いのちは心臓にある」とこたえるそうです。
聴診器をあてて鼓動を聞かせてみると、確かにドキドキと音がします。

でも命ではありませんね。いのちは見えない、さわれない。
これとよく似ているものはなんでしょう? 昨日の時間は見えない、さわれないですね。 明日の時間も、見えない、さわれない。

いのちというものは、「君たちが使える時間のことをいうのだ」と話しているそうです。

今は自分の成長のために自分の時間をすべて使っているけれど、大きくなったら、誰かのために時間を使う。 それが、生きていくということだと
話しているそうです。